節目の一日に考えたこと

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精一杯頑張る姿は、何分咲でも、キレイだ。
平成最後の・・・
ここ半年くらい、聞き飽きたようなこのフレーズ。
正直なんとも思っていなかったけれど、今日になってみたらやはり節目は節目でした。ちょっと考えたことを。
平成最後のブログです!(←言いたいだけ)
31年の私を振り返る
平成の時代というよりは、自分史を振り返ったのですが。
学生時代には学生の、社会人時代には社会人の、理想があり、目標があり、課題があり、試練があり。
その時々で壁を乗り越えてきたなと。しみじみ思うのでした。
その時々の理想に向かって頑張ってきたつもりだけれど、
思い描いた理想通りだったかというと、そうではなくて。
想像もできなかった所にたどり着いた31年でした。
31年なんて全然で、10年、5年、いや1年だって、見通すことなんてできない。
平成1番の転機
20代後半に、具体的に「何」というわけではないけれど、私にとっての平成1番の転機があった。
組織とか、競争とか、束縛とか、関係がなくなって、
それまで思っていた「普通」が普通ではないことを知り、
それまでずいぶんと狭い世界で生きていたことを知った。
色々な価値観と出会い、自分の価値観も変化していった。
それまでしてきたことは、選択肢を狭めないための選択であって、自らの人生を選び取る意思決定ではなかったように思えた。
その裏には、選ばなかった人生があるはずだけど、今はあまり思い出せない。
今となっては、初めからこうなりたかったかのように、人生を進んできた気さえする。
でも今の自分に100%満足しているわけではなく、少し足りない。
だからこそ、前向きな気持ちでいられてちょうど良い。
10代の私
小学校の卒業アルバムには「作詞・作曲のできる人になりたい♪」と書いた。
確かになりたいと思っていたけれど、それに向けた努力なんて1ミリもしてないなぁ~。ピアノを習っていたけれどろくに練習しなかったし。。。

なぜ、~したいと思ったことをやらなかったのだろう?
20代の私
それから随分と時が経って20代前半。
突然スイッチが入り会計士試験の教材を取り寄せたこと、これも確かに平成を代表する転機だったと思う。
受験を公言するには恥ずかしくて、でも大学3年でとっくに合格した同級生に、こっそり受験の意思を伝えると、「え、今から?社会人受験厳しくない?」と冷たい目で言われ…(もしかしたら、「今から?」は「今更?」だったかもしれないとも思う。定かではない。)
でもなぜか、受からない気はしなかった、おめでたい自分。
そしてこれは(作詞作曲と違って)ちゃんと努力できた。
違いはなんなんだろう?
自信が大事
思い描いている理想と今の自分の差に対して、
①すごくやる気が湧いてくる場合と、
②頑張れなかったり、どちらかというと悲観的な気持ちになる場合と、
2種類あるかな?
でもその違いは、一般的な達成可能性とは関係なく、結局自分の中の自信だけの問題かな?一瞬は悲観的になったことでも、自信の問題で乗り越えられるんじゃないかな?と今は思う。
その時々、間違えなく②はあるんだけど、振り返ると忘れてしまうし。
①だって苦労はあるんだけど、記憶としては美化されるし。
そして自信とは、私の場合、突然湧いてくるものでもなく、日々の努力達成の積み重ねでしか作り出せない。
次の時代に向けて
次の時代が終わるとき、どんな風な私になっているのか、想像もつかない。
ただ1つ、明日から迎える次の一時代がとても楽しみだということ。
楽しみだと思える環境に感謝。
やりたいと思ったことに向き合える、自信に満ちた自分でいたい。
そして道の片隅で咲き誇る花のように、精一杯頑張っていたい。
